#320 市民たちの行為に注意を怠ってはならない

市民たちの行為に注意を怠ってはならないという話。

 

なぜなら

 

一見するだけならば私利私欲とは無関係に見えるものでも、もしかしたら裏には権力獲得の欲望が潜んでいるかもしれないからである。

 

そのため

 

このような疑いのある行為は、たとえ表縁的にはいかに善意の賜物のように見えても軌道を修正しておくことが必要である。

 

これは容易な作業ではない。

 

力量豊かな市民なくしては存立も危うくなるからである。

 

しかし、力量豊かな市民の突出もまた僭主制移行への危険をはらむ。

 

この場合の取るべき方策は1つしかない。

 

それは

 

力量豊かな市民の力を充分に発揮させながら、それでいてその市民の名声が他の人々の自由を侵すことのないような制度を整えることしかない。

 

これに関しての具体的な議論は、まず市民の獲得する名声が公的なことによるものか、それとも私的なものによるものかを分けて考えることから始めるべきである。

 

もしそれが、公共の利益のために為された結果であったとしたら、それに対する報いはケチるべきではない。

 

ケチるどころかより名声を上げるのを側面援助して、他の市民たちが続くように努めるべきである。

 

なぜなら

 

この種の名声ならば共同体にとっての危険は全くないからである。

 

反対に

 

私的な意図があって獲得した名声の場合は、危険極まりないことである。

 

なぜなら

 

それは市民たちの私利私欲を叶えてやることによって得た名声であるからである。

 

例えば、金を貸してあげたり、娘の嫁ぎ先を世話してやったり、官史に口を聞いて便をはかったり。

 

これらの行為によって面倒見の良い人だと思われ、その人の周りには自然に党派が結成されることになる。

 

公的な利益を考えて行動する市民には名声を与え、私的な利権をばらまくことによって名声を得ようとする市民には、ブレーキをかける制度が必要である。

 

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