#318 国家には清貧が大切である

国家が秩序を保ち、国民1人1人が自由を享受するには、清貧が最も有効である。

 

ローマは、建国後400年までは少なくとも清貧を尊ぶ気風が充満していた。

 

なぜなら、

 

ローマ市民にとっていかなる公的地位に就くにもいかなる成功に浴びすにも、貧しさが不都合なことは全くなかったからである。

 

その人物が力量に恵まれてさえいれば、どんなに貧しい小屋に住んでいても人材登用の機会にもれないという自信を持てたのであった。

 

そのため、強いて富を求める必要もなく、欲求も生まれなかったのである。

 

つまり

 

ローマ人の制度がローマ人自身に富をがむしゃらに追求する気持ちを生まれさせなかったのである。

 

清貧を尊ぶ気風が、国家や都市や全ての人間共同体に栄誉を与えたのに反して、富追求の暴走は、それらの衰退に役立っただけであった。

 

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#316 なぜ古代は秩序が保たれたのか

なぜ古代は秩序が保たれたのか?

 

理由は、昔は自由人であったが、今では奴隷の生活をするしかないことにある。

 

自由に生きることのできる国は、社会全体が繁栄を享受できるようになる。

 

そのような社会では、結婚を避ける傾向もなく、財産を減らす恐れを持たずに子孫を増やすことができるため、人口は健全な増えかたをした。

 

親たちは、自分の子が自由な社会に生き、それゆえに才能さえあれば、指導者階級に属することも可能だと信じることができたため、子が生まれることをよろ孤児、その子たちの養育にも力を入れることができたのである。

 

このような国家では、あらゆる分野での富が増え続ける。

 

人々は、富を増やせば増やすほど、それを享受できる喜びも増すことを知っていたのである。

 

このような社会では、自由競争の原理が支配的になる、私的な利益と公的な利益の両方共が、ごく自然な形で追求されるようになる。

 

結果、両方ともの繁栄に繋がるのである。

 

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#315 長期にわたって存続する共和国を作るには

長期にわたって存続する共和国を作るにはどうすればいいか。

 

それは、国内では秩序を保ち、国外に対しては、天然の要害の地にあることと、時刻防衛をおろそかにしていないことから、容易に攻略できないと敵に信じ込ませることである。

 

同時に、近隣の国々が脅威を感ずるほど国家を強大にしてはならないことも、忘れてはならない。

 

これらのことを守りさえすれば、長期にわたって国家の自由と安全は保証されるに違いないのである。

 

なぜなら

 

共和制の国家に対して他国が攻略を仕掛けてくる原因が

 

①征服して支配者になりたいという欲望

 

②征服されて支配下に置かれるかもしれないという不安

 

であるからである。

 

そのため、この2つの原因を取り除くことと、上記の心構えを守りさえすれば、国家の存続の保証の相当な部分はカバーされるということになる。

 

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#314 なぜ自由に生きることへの強い愛情が生まれるのか

なぜ自由に生きることへの強い愛情が生まれるのか?

 

それは、歴史上、自由を持つ国家だけが、領土を拡張し経済的にも豊かになったからである。

 

アテナイがわずか100年の間に成果を生むことができたのかは、個人の利益よりも共同体の利益を優先するようになったからである。

 

たとえ、ある政策の実施にあたって、個人の不利益をこうむるような場合でも、これによって利益を受ける人が多数ならばその政策は実施されたのである。

 

そして、不利益をこうむる少数派が反対してもそれは全体の利益の前に沈黙するしかなっかたからである。

 

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#313 ハンニバルとスキピオ

 

ハンニバルスキピオは、部下の心を掴むために全く反対の方法をとったが、両者とも同じ効果をあげることができたのである。

 

スキピオは、任地のスペインで人間味溢れる温情に満ちた言動によって、地方の人心を掴んだ。

 

ハンニバルは、イタリアの地で、残酷で強圧的で非情な態度で終始したのである。

 

なぜ2人とも別のやり方で効果を発揮したのか?

 

これには2つの解明ができる。

 

①人間という者は新しいことには何にでも魅了される者で、現在の状態に満足していない者はもちろんのこと、満足している者まで、変わったことを求める性向では同じだということ

 

この変化を好む人間の気分が、それをもたらす者ががいぶの者ならば城門を開け放し、内部の者ならば、その人の周辺に群がってその人を押し立てるという結果を生むのである。

 

 

②人間というものは、敬愛が恐怖の気持ちであっても、人々を動かすということならば同僚の効果を生む

 

人間とはしばしば敬愛する者よりは恐怖を感ずる者のほうに、服従するものである

 

真の器量に恵まれ、その人の力量が人々の間に知れ渡っているほどの人物ならば、敬愛路線でいこうが恐怖路線でいこうが、それは大した問題にはならないのである。

 

 

ハンニバルスキピオのような力量抜群の人物ならば、何をやろうとそれから生ずる小さな欠陥などは帳消しになる。

 

しかし

 

並程度の器量を持ち主である場合は、しかと考慮の必要がある。

 

なぜなら

 

敬愛路線を取りすぎると、部下の軽蔑を招く危険があり、恐怖路線の行き過ぎは、憎悪を生む危険があるからである。

 

それでいて、中道を行こうとしても人間の性質がそれに向いていないために、これとて大変に難しいもの。

 

要するに

 

人心の完璧な把握などという最大の困難であることは、ハンニバルスキピオのような、並外れた器量の持ち主であってこそ初めて可能なことかもしれない。

 

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#312 人の運の良さは時代に合わせられるかで決まる

人の運の良さは、時代に合わせて行動できるか否にかかっている。

 

ある者は激情のほとばしるままに行動し、ある者は慎重に慎重を重ねた上で行動を起こす。

 

両人とも限界を踏み外し、失敗に終わってしまうことがある。

 

反対に

 

誤りが少なく、幸運に恵まれた人々は、時代の流れを感じ取り、それに合わせて行動して成功するのである。それは激情派か慎重派には関係なく。

 

ファビウス・マクシムスというローマ人は、ローマ人特有の激情と大胆さからは離れた慎重な闘い方をする武将であった。

 

このやり方が成功したのは、それが時代とあっていたからである。

 

情況が変わって、戦争終結のために敵地アフリカに軍を派遣したいとスキピオが主張したとき、それに誰よりも反対したのはファビウスであった。

 

これは、自分が慣れ親しんだやり方を変えられない

 

つまり、頭の切り替えができない人に、よく起こる現象である。

 

戦争もまた、時代や情況が変われば、その進め方も変わらなければならない。

 

困難な情況化で軍を率いていくのに適したファビウスのような人間もいるし、勝負を決する情況が訪れれば。それを活用できるスキピオのような人物もいるということである。

 

時代の流れを察知し、それに合うよう脱皮できる能力を持つ人間は、極めて稀な存在である。

 

その理由は2つある。

 

 

①人は、生来の性格に逆らうようなことは、なかなかできないものであるから

 

②それまでずっと上手くいってきた人に、それとは違うやり方がこれからは適策だと納得させるのは、至難の業であるから

 

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#311 賢い武将は、配下の将兵を止むを得ず闘わざるをえない状態に追い込む

賢い武将は、配下の将兵を止むを得ず闘わざるをえない状態に追い込む。

 

同時に敵に対しては、止むを得ず戦わざるをえない状態になるべく追い込まないような策を講ずるもの。

 

古代の将軍は、人間の意欲というものは、必要に迫られてこそ充分に発揮されるものであることを知っていた。

 

攻撃力をいやがうえに向上させるために、

 

将兵たちが止むを得ず闘うよう、あらゆる策を講じたのである。

 

同時に敵軍には、断崖絶壁に立ったと感じないように、策を講ずることを忘れなかった。

 

閉鎖できる通路でも、わざと敵のために開いたままにしておいたり、味方の兵の退路になれそうな道は、閉鎖させたりしたのである。

 

人は、「恐怖」と「強欲」によって動く生き物であることを熟知していたのである!!

 

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