#299 人間は全ての性質を一身に集めるようには作られていない

指導者たる者は、破滅を狙う者たちに口実を与えがちな悪評は、細心の注意を払って避ける必要がある。

 

同時に、できれば大事に関係ない悪評でも、避けるよう心がけるべきである。

 

君主(指導者)は、それをしなければ国家の存亡に関わるような場合は、受けるであろう悪評や汚名など、一切気にする必要はない。

 

なぜなら

 

一般には美徳のように見えることでも、それを行うことによって破滅につながる場合が多いからである。

 

一見すれば悪徳のように見えることでも、その結果は共同体にとっての安全と繁栄に繋がる場合もあるから。

 

君主ではない者は、種々の良き性質を全て持ち合わせる必要はない。

 

しかし、持ち合わせていると人々に思わせることは必要である。

 

実際に持ち合わせていては有害なため、持ち合わせていると思わせるほうが有益である。

 

思いやりに満ちており、信義を重んじ、人間性に溢れ、公明正大で信心も厚いと思わせることの方が重要である。

 

もしこのような徳を捨て去らねばならないような場合は、全く反対のこともできるような能力を備えていなければならない。

 

君主ある者、国を守るには、徳を全うできるなど稀だということを頭に叩き込んでおく必要がある。

 

国を守るためには、信義に外れる行為でもやらねばならない場合もあるし、慈悲の心も捨てねばならない時もある。

 

だからこそ

 

君主には、運命の風向きと事態の変化に応じて、それに適した対応の仕方が求められる。

 

良き徳から外れないようにしながらも、必要とあれば悪徳をも行うことを避けてはならないのである。

 

君主の最も心すべきことは、良き状態での国家の維持である。

 

それに成功させすれば、彼のとった手段は誰からも立派な者と考えられ、賞賛されることになる。

 

思慮深い人物は、信義を守り抜くことが自分にとって不利になる場合、あるいはすでに為した当時の理由が失われている場合、信義を守り抜こうとはしないし、また守り抜くべきではない。

 

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