#290 共同体化の尺度  ③総花主義(集中の不能)について

機能組織の共同体化の恐ろしさは、組織内部では発見し難いところもある。

 

なぜなら

 

倫理が頽廃すれば本来の目的欲求が放棄されてしまうため、構成員の評価尺度も狂ってしまうからである。

 

しかし、それを外形的に捉える尺度が3つある。

 

今回はその中の1つ、「総花主義(集中の不能)」について話す。

 

 

③総花主義(集中の不能

 

総花主義とは、能力均等分散が固定化し、集中が不可能になることである。

 

機能組織が本来の目的を達成するためには、臨機に必要な能力(資産、施設機材、人材、情報)を最も重要な断面(戦場や事業)に集中することが必要である。

 

しかしこれには当然、重要ではないと判断された部局から不満や苦情が出ることになる。 

 

なぜなら

 

優秀な組織人なら、誰でも自分の担当する分野こそ最も大事だと信じているからである。

 

成長する部局の者は、「今こそここに力を注いで一挙に伸ばすべきだ」と主張するが、低迷衰退分野を担当する者は、「ここで手を抜いて総崩れになる、ここでテコ入れすれば必ず立ち直る」と言う。

 

共同体化した組織では、特定の部局や構成員に不満を抱かせることを嫌うので、敢えて能力の集中をせず、全部局に総花的な分散が行われる。

 

人事において抜擢人事が組織内部の競争を生み、構成員の公平性と安住感を損なう。

 

それと同様に、資金や人材などの重点配分は、組織部局間の競争と軋轢を生むことになる。

 

これに対する平和穏便な方法は、誰にでも分かり易い客観的基準による平和主義、つまり「比率を変えない」総花主義である。

 

これが進むと、、、

 

一方では、必要分野で資金や人材が著しく不足して決定的な立ち遅れから敗北を招き、他方では、さして重要でもない分野で大局的には効果のない事業に巨額の資金と大量の人材を注ぎ込むといった事態が起こる。

 

太平洋戦争の末期に大兵力を動員して、「支那大陸打通作戦」を展開した日本陸軍は、その典型である。

 

これは、新規事業を育成することも妨げることになる。

 

組織が固定化すれば、ヒトとカネもモノも固定化して流動性がなくなる。